思い出のマーニー 感想と考察 22 (読書感想第10~16章)
※以下、ジブリの新作アニメ「思い出のマーニー」のネタばれが含まれています!!※
第10章 アッケシソウの酢づけ ~ 11章 質問は3つずつ
マーニーと初めて会った日の翌日、アンナは再びマーニーと出会います。ボートの漕ぎ方を練習してから入り江の奥に行き、そこで3つの質問をするのは映画と同じです。
マーニーは「アンナのことをなんでも知りたいけれど、そのくせ何も知りたくない」と禅問答のようなことを言い出しますが、これがアンナの気持ちとピッタリ一致します。
これまでアンナは湿地屋敷の住人に憧れを抱いていましたが、知り合いになることは恐れていました。
角川版 P49
きっとその人たちも、ほかの人たちと同じく、うわべだけ愛想よくしてくれて終わるだろう。「外」にいるアンナのことを「中」から面白そうにながめ、自分たちと同じものが好きで、同じものを持っていて、同じことをするものだと決めてかかる。そして、アンナが同じものが好きではなくて、同じものを持っていなくて、同じことが出来ないと気がつくと--または、いつもアンナをほかの人たちから遠ざけるなにかに気がつくと--すぐに興味をなくしてしまう。
だから「どっさり質問したり、言い争ったりしたあげく、喧嘩して終わりなんてことにならないように、今のままでいたい」というマーニーの提案に、アンナは「わたしが感じていることと一緒だ」と嬉しくなったのです。
マーニーと初めて出会ったときも「秘密の友達でいよう」というマーニーの提案に「この子はまさしく自分のような子だ」と喜んでいますし、アンナにとってマーニーは、生まれて初めて出会った共感しあえる友達なんですね。
角川版 P93
アンナはこぎながら、まっすぐ前をみつめた。まばたきもせずに目を大きくひらき、友達になった子をすみからすみまで知ろうと、暗がりの中で必死になった。
まるで友情を"むさぼり求める"かのようなアンナの描写に心を打たれます。
あとは、ボートで近づいてくるマーニーを見つけたシーン
角川版 P92
あの女の子が、まちがいなくほんとうに、どんどん近づいてきた。アンナはパシャパシャと水に入って女の子を迎えた。
という描写の「パシャパシャ水に入って」というところが、アンナの喜びが感じられてとても好きです。
マーニーの兄妹が何人かを最初に質問するアンナ。先日船着場で見かけた子沢山の家族(リンジー家の人々)を湿地屋敷の住人だと夢想していたので、てっきりマーニーには兄妹が沢山いると勘違いしていたからです。でも、マーニーが1人っ子だと知ってすこしガッカリします。
このあと、ペグ夫妻(映画の大岩夫婦)のことが思い出せず、アンナの前からマーニーが消えてしまうのも映画と一緒ですが、お互いに「消えたのはあなたのほう」だと言い張ってしまうため、喧嘩になりかけてしまいます。でもマーニーが喧嘩はやめようと提案したので、「どうせたいしたことじゃないし、マーニーと喧嘩するのは絶対に嫌だ」と思ったアンナの心から怒りは消えたのでした。この和解は別れのシーンと似た構図ですね。
第12章 ペグのおばさん、ティーポッドを割る
翌日、ペグおばさんにサンドラと喧嘩したことがばれてしまいます。アンナは「向こうが先に悪口を言ったの」と抗弁しますが、その悪口が「ただのあたなそのもの」だと聞いたペグおばさんはあきれ返ってしまいます。まあ当然ですね。ちなみにそのサンドラの台詞はアンナがサンドラをブタ呼ばわりした後なので、アンナはすこし嘘をついているか、記憶があいまいになっているようです。
誰にも会いたくないアンナは砂浜で一人きりになりカモメの声に耳を傾けます。
角川版 P109
カモメの声はさびしげで、きれいで、どこか懐かしく、なにか暖かいものを思い出させてくれるようだ。アンナがかつて知っていたのに、なくしてしまい、そのあと二度と見つからなかったなにかを。
これはきっとアンナが湿地屋敷を見つけた時と同じ感情だと思います。湿地屋敷を見つけたアンナは自分がなくしていたものを思い出したのではないでしょうか。そしてその湿地屋敷に現れた生まれて初めての友達。つまりアンナにとってマーニーは「なくしてしまい、そのあと二度と見つからなかったなにか」の象徴なんだと思います。
第13章 家のない子 ~ 第14章 パーティーのあとで
その夜アンナは家をこっそりと抜け出し、湿地屋敷に出かけます。すると屋敷ではパーティーをやっていたのでした。マーニーがアンナを花売りの子に化けさせてパーティーにもぐりこませようとするのは映画と一緒です。映画では結構うろたえていましたが、原作では意外と落ち着いているアンナ。アンナはマーニーといるとなぜか「なにもかも、あらかじめ決まっていることなのだ」と感じるようです。ちょっとした伏線ですね。
このパーティーでマーニーのお父さん(原作では軍人のようです)から名前を尋ねられたアンナは自分の名前すら忘れていることに気がつきます。これは3つの質問のときと同じようです。
他に映画と違うところは、マーニーとダンスしないことと、ばあやを部屋に閉じ込めないところですね。その後、マーニーにボートで送ってもらい岸に座って寝ているところを近所の住民に発見されます。アンナの靴にはマーニーに刺してもらったシーラベンダーの花がまだ刺さっているのですが、これが本当にマーニーに刺してもらった花なのか、夢遊状態のアンナが自分で刺したのかは謎です。
また、映画では大岩夫妻には子供が二人いましたが、原作ではペグ夫妻は子を持ったことはないようです。
第15章「また私をさがしてね」
第15章ではアンナとマーニーは2回出会います。1回目はうち捨てられた船の中、2回目は浜辺です。このシーンは映画にはありません。
ばあやのことを「看護婦」だと勘違いしたアンナにマーニーは突然怒り出します。映画のマーニーはやさしい少女でしたが、原作のマーニーからは勝気で気分屋な印象を受けます。湿地屋敷から聞こえるというベルの音でマーニーは帰宅しますが、これは後半に出てくるカウベルですね。
第16章 キノコと秘密
マーニーとキノコ狩りをする約束をしたアンナは、午前7時に堤防に出かけてマーニーを待ちます。堤防でマーニーが歩いてくる方向を見ながら待つアンナ。すると以外にも目の前にマーニが現れて驚きます。第15章でもマーニーは船の中にいたり、砂浜に現れたりと、神出鬼没のようです。
このシーンでアンナが養育費のことをマーニーに打ち明けるのは映画と一緒です。養母のミセス・プレストンから養育費について打ち明けて欲しかったアンナは、なんどもお金の話をしてミセス・プレストンが打ち明けられるようなチャンスを作ってあげたとマーニーに話します。そしてミセス・プレストンもどうやらアンナが養育費の存在を知っていると気付いているようだとも言うのでした。
映画版では、物語の最後に頼子が突然養育費について打ち明けるので、強い唐突感がありますが、どうしてこの台詞を映画では省略したんでしょうね? 杏奈が一言「おばさんも、たぶん気付いていると思う」と言うだけでよかったのですが。
あと、原作と映画ではいくつか違うことがあるようです。
映画ではアンナの両親は二人とも交通事故で亡くなっていますが、原作では父親は母と離婚しておりまだどこかで生きているようです。また、アンナは祖母のことを少し覚えていいると話しています。
この章の最後でサンドラが登場。アンナが「変な子」だとはやし立てます。
角川版 P154
「変化な子だ!変な子だ!」アンナに気づくなり、サンドラがはやし立てた。「うちのお母さんが、アンナは変な子だって言ってたよ。浜辺でぶつぶつひとりごとを言ってるって。(略)」
マーニーは、浜辺でぶつぶつひとりごと言うアンナが作り上げた空想の友達なのでしょうか?
でも、アンナはマーニーが見つけてくれたキノコを手に持っていますし、パーティーのあとは靴にシーラベンダーもありました。空想の友達なのか、時空を超えて本当に会っているのか、真実は謎です。