思い出のマーニーをふりかえる

映画思い出のマーニーが公開されてから、はや半年が過ぎました。


最近ではこのブログを訪れる人もめっきりと減りましたが、今頃このブログを訪れてるあなたはきっと、よっぽどヒマな人マーニーが好きな人なんですね。


私が最後にマーニー関連の記事を更新したのは昨年の9月でしたが、私もヒマな人マーニーが好きなので、その後は英語の原書を読んだり日本語訳を何回か読み返したりしていました。


すると以前は間違って解釈していたことや改めて気が付いたことなどが結構出てきまして、そろそろ思い出のマーニーをもう一度総括してみようという気になりました。


最初は柄にも無く少し真面目な文章で書いてみたのですが、ぶっちゃけ自分で読み返してみても「堅苦しくて読む気になれない」と感じてしまったので、例によってゆる~い感じでつらつらと書いていきます。

原作「When Marnie Was There」


思い出のマーニーの原題は"When Marnie Was There"で、1967年にイギリスで出版されました。


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こちらが原作者のJoan Gale Robinson(1910 – 1988)さんです。


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ずいぶんと毛深い人のようですね。


ってアレ? すみません、うっかり間違えました。
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こちらが原作者ですね。


当初、小説の題名はシンプルに「Marnie」にする予定だったそうです。


けれど、出版する数週間前になってヒッチコックの同名の映画が公開されてしまったので、あわてて"When Marnie Was There"に改名したというエピソードが原書のあとがきに書かれています。


あれ?でもwikiで調べてみるとヒッチコックの映画は1964年に公開されていますね。この小説が出版される3年前のようですがどういうことでしょう?あとがきは作者の死後、2002年になってから娘が書いたようですので、もしかすると何かの記憶違いがあるのかもしれません。それとも、イギリスでの公開は1967年だったのかな?


主人公アンナはイギリス人。ロンドンのエルムウッドテラス25番地に住んでいます。この住所を探してみましたが、どうやら架空の住所のようです。


小説ではアンナはロンドンのリバプールストリート駅から汽車に乗りました。

こちらが現在のリバプールストリート駅
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途中キングス・リンで列車を乗り換えてヒーチャムに向います。


調べてみるとキングス・リンからヒーチャムまでは現在鉄道が無いようです。wikiによればヒーチャム駅は1969年5月5日で閉鎖されたとあります。アンナがヒーチャムに来たのは廃路の数年前だったんですね。


こちらがヒーチャム駅です。
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http://www.wolfertonroyalstation.co.uk/alongtheline/Heacham/Heacham_02b.jpg


Abandoned Lines and Stations - eastanglianrailwayarchive


ヒーチャムにはペグのおばさんが迎えに来てくれていました。おばさんと一緒にバスに乗ったアンナ。二人でリトルオーバートンまで向います。このリトルオーバートンというのも架空の町で、バーナムオーバリー(Burnham Overy)という町がモデルになっているようです。乗用車で30分。バスだとだいたい1時間程度のようです。


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作者はこのバーナムオーバリーが大好きで夏になるたびに家族で来ていたようです。このバーナムオーバリーに、マーニーが住む湿地屋敷のモデルがあります。

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青い窓枠が印象的な建物ですね。この建物は今は穀物倉庫だそうです。作者がこの倉庫の前を通ったときに窓の中に金髪の少女が髪を梳かしてもらうのを見かけ、それをヒントとしてこの小説を書き始めたといいます。f:id:shinya1996:20150211120540p:plain


あとがきによると屋敷の周りには当時木々が生えていたようですが、今は切り倒されて家がたくさん建っているようですね。


ちなみに、作者の墓もこのバーナムオーバリーにあります。


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左の中央にある「The Tower Windmill」と書かれているのが風車小屋です。
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当初は小麦粉をひいていたそうですが、現在はコテージとして使用されています。
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もちろん小説は作り物なのですが、これらの風景から思い出のマーニーは生まれました。
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原作のアンナ


原作を読んで最も印象深く感じるのは「アンナの性格が映画とはちょっと違う」ということです。


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以前にこんな表をブログに載せました。
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これを見れば分かるとおり映画版の杏奈はまるで生理的に他人を毛嫌いしているかのように表現されているのですが原作のアンナは決してそうではありません。


むしろ愛情豊かで、心の奥底では他人と仲良くなりたいと思っているようにさえ見えます。


彼女の心理が垣間見える記述が、第五章に書かれています。


角川版P49-50

ほんとうにその人たちを知って、向こうもアンナのことを知ったら、そういうことがみんな台なしになってしまう。きっとその人たちも、ほかの人たちと同じく、うわべだけ愛想よくしてくれて終るだろう。「外」にいるアンナのことを「中」からおもしろそうにながめ、自分たちと同じものが好きで、同じものを持っていて、同じことをするものだと決めてかかる。そして、アンナが同じものが好きではなくて、同じものを持っていなくて、同じことができないと気がつくと---または、いつもアンナをほかの人たちから遠ざけるなにかに気がつくと---すぐに興味をなくしてしまう。いっそ、きらいになってくれればいいのに。
けれど、そんな人はだれもいない。みんな、礼儀正しく興味を失うだけだ。そうなると、アンナのほうからその人たちをきらうしかなくなる。腹立ちまぎれにではなく、冷ややかに。ずっと「ふつうの顔」をしたまま。


原作のアンナは決して人嫌いなわけではないようです。それにも関わらず、アンナと知り合う人は皆、相手のほうからアンナへの興味を失ってしまいます。


それがなぜなのか、アンナには原因が分かりません。嫌われるならまだしも、まるでドラえもん石ころ帽子を被っているかのように、単に誰からも感心を持ってもらえないのです。


アンナはそれを自分が目に見えない魔法の輪の外にいるからだと解釈するようになり、他人と仲良くなれない失望を「ふつうの顔」をすることにより隠すようになりました。


怒り出すのではなく、冷ややかに。まるで最初から自分も相手に興味がなかったかのように。


原作でアンナが自分の感情を隠す時に使うこのふつうの顔ですが、このように描写されています。

Immediately Anna drew herself up stiffly and put on her 'ordinary' face


直訳すると「彼女の"ふつうの顔"を身に付けた」という感じでしょうか。


表情というよりも、まるで素顔を隠す仮面のように、アンナはふつうの顔装着するのでした。


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ミセスプレストン


誰からも愛されない少女アンナ。


しかしそんなアンナにも、たった一人の例外がいました。彼女の育ての親であるミセス・プレストンです。


アンナはミセスプレストンを「私を自分の子供のように思ってくれている」と感じ、愛しています。


しかし、養育費の存在を知ったことにより、アンナの心に小さな棘が刺さってしまいました。


もしかすると、ミセスプレストンの愛情は、自分が思っていたほどには純粋なものではないのかもしれない。


そう思えてきたのです。


養育費の存在を知ったせいか、アンナは物語が始まる半年前からは何ごとも「やってみもしない」といわれるまでに無気力になり、最近では「一日のほとんどを何も考えずに過ごすようになってしまいました。


原作では、このミセスプレストンへの疑いが交互にアンナの心に現れてアンナを苦しめる描写がされています。


まずは原作の冒頭です。

 ミセス・プレストンはいつもの心配そうな顔で、アンナの帽子をまっすぐに直した。
「いい子でいるのよ。楽しんできてね。それから、ええと・・・とにかく日焼けして、元気に、笑顔で帰っていらっしゃい」片手でアンナを抱き寄せると、別れのキスをした。アンナがあたたかさと安心と愛情を感じられるように、という気持ちをこめて。
 でも、アンナはミセス・プレストンのそんな気づかいを感じとって、やめてくれないかな、と思った。気づかいなんかされると、ふたりのあいだに垣根ができて、自然なさよならが言えなくなる。


以前この部分について「どうやらアンナは不自然なことが嫌いなようですね」と書きましたが、そうではありません。


アンナは、ミセスプレストンの気づかいが愛情によるものではなくうわべだけのものかもしれないと不安に思うようになったのです。

きっとその人たちも、ほかの人たちと同じく、うわべだけ愛想よくしてくれて終るだろう。


もしかするとミセス・プレストンも他の人と同じではないか?


この疑いが、アンナの心に垣根をつくってしまい、愛情を素直に信じることができなくなってしまったのでしょう。


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しかしその直後、一瞬だけアンナの心がフッと軽くなります。


アンナを乗せた列車が動き出し、ミセス・プレストンが急に悲しそうな、すがりつくような顔をして走り出した瞬間です。


ミセスプレストンの様子からうわべだけではない何かを感じることができたので、それがアンナの心を少しだけ軽くして、アンナは列車から身を乗り出して「おばさん行ってきます!」と叫んだのでした。


リトル・オーバートンに到着したアンナ。さっそくミセスプレストンに手紙を書きます。


心のこもったことを書きたくて、ふつうの「愛を込めて」という表現ではなく「何トンもの愛を込めて」と書きました。


けれど、心に芽生えた小さな疑問は大きくなりつつあり、アンナはいつもいつもミセスプレストンに対してやさしい気持ちでいられるかどうか自分にも分からないのでした。

映画よりもしっかりしているアンナ


映画と原作の違いで目に付く点として、原作のアンナは結構しっかりしているということがあります。


映画の杏奈は「他人と会話しただけで発作」「他人と会話したくない会いたくない」「後先考えずに瞬間的にキレる」などなど極度に自閉的で精神が不安定であるような描写がされていたのですが、原作のアンナはもうすこし大人です


まず、他人との会話ですが、原作ではそこまで他人との会話を拒否したり怖がったりするような描写は見られません。


ペグおばさんに初めて会った時も自分から話しかけていますし、おばさんのおつかいで近所の家に酢やビンを借りに行くのも平気です。


太っちょブタのサンドラとは喧嘩をしてしまいますが、ペグおばさんから言われたとおりに自分から仲直りしようとする努力さえ見せます。


映画よりもしっかり者のアンナ。ところで映画では12歳でしたが原作では何歳でしょうか?


ヒントとなりそうなのは、リンジー家の兄妹たちの年齢です

  • アンドリューは14歳くらい
  • マシューは7、8歳に見える
  • プリシラはアンナより年下に見える


長男のアンドリューが14歳とだとすると、その下のジェーンは13歳以下ということになります。またマシューが8歳だとすると、その上のプリシラは9歳以上ということになります。


アンナがジェーンより年下でプリシラより年上だとすると、アンナの年齢は10歳から12歳の間ではないでしょうか?もしかすると映画よりも若干年下なのかもしれません。

よきものなんてどこにもない


そして、小説と映画で決定的に違うと感じたのが、アンナが涙を流すシーンです。


小説では、アンナとサンドラの仲が悪いことがきっかけとなり、アンナは涙を流します。


アンナとサンドラの不仲のせいで、ペグのおばさんがサンドラのおばさんのところに遊びに行けなくなったのですが、アンナはその罪悪感で泣いたわけではないと思います。


アンナはいつもの通り、サンドラに対して友達になれるという期待は最初から持っていなかったはずです。


なぜなら、もし期待を持ったとしても見えない魔法の輪のせいでサンドラとは友達になれず、結局自分の心を傷つけることになってしまうからです。


けれども、アンナがそういう態度を取ったことが原因で、今度はペグのおばさんを不幸にしてしまいました。


アンナがサンドラと仲良くしようとしても、しなくても、いずれにせよ自分か他人を傷つけてしまいます。


もうどうすることも出来ない。


「よきもの」なんてどこにもない---いちばん良くないのは私だ


まるで自分の存在そのものが悪であるかのような絶望感ミジメさが熱い涙となって、アンナの頬を流れたのでした。


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つづく