思い出のマーニー 感想と考察 23 (読書感想第17~21章)

※以下、ジブリの新作アニメ「思い出のマーニー」のネタばれが含まれています!!※


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第17章 世界一めぐまれた女の子~第18章 エドワードが来てから

 アンナとマーニーはほとんど毎日を一緒に過ごします。マーニーは「あなたみたいな友達がずっと欲しかった。いつまでも友達でいてくれる?」と言って砂の上に二人を囲む輪を描き、二人は手を握り合って誓い合います。これで私も魔法の輪の仲間入りねっ!とこの上ない幸せを感じるアンナ。

 でも友情の形としては幼い印象を受けます。二人が初めて会ってからそう日数も経っておらずたいした喧嘩もしたことがありません。本当の友情というよりも「友情への憧れ」を友情と勘違いしているようにも感じられます。けれどこういうピュアな感情というのも小さい頃にしか体験できないものかもしれません。原作では明確に書かれていませんがアンナの年齢は小学校3年生くらいに思えます。あの頃と同じような友達は、もう二度と手に入れることはできません・・・。*1

 しかし湿地屋敷にマーニーの従兄弟のエドワード(16歳♂)がきてから、二人の関係がすこしギクシャクしはじめます。

 アンナが砂丘でマーニーを待っていてもマーニーは一日あらわれませんでした。しかし「昨日一日待っていたのに」と文句を言うアンナに対し、マーニーは「なにを言っているの?そこに昨日二人で置いていった花があるでしょ(つまり昨日は一緒に遊んだでしょ)」と言いだします。確かに花は置いてあるのですが、アンナの記憶ではその花を置いたのは二日以上前のはずでした。なのに花は少しもしおれていないように見えます。

 また、ある時は二人で一緒に家を作る約束でいたのに、マーニはその約束のことを全く覚えていません。そうかと思っていたら、別な日にマーニーとエドワードが二人で家を作ったという話を知り、アンナはショックのあまり「ふつうの顔」をマーニーの前でしてしまいます。

 これらの描写ですが、まるで二人の間の時間がずれ始めているようにも受け取れますね。アンナとマーニーは時空を超えて実際に出会っているのかもしれません。

第19章 風車小屋~第21章 窓の向こうのマーニー

 さてさて、いよいよ前半のクライマックスである風車小屋です。以前にも書きましたが、細かい点がいろいろ映画とは違います。映画では二人で一緒にサイロに行きましたが、原作では別々に風車小屋に行って偶然出会います。マーニーがアンナを「和彦」と呼んだり、彩香が「日記の続きを見つけた」というもの映画のオリジナル要素です。

 風車小屋でマーニーに置いて行かれてしまい激オコのアンナ。たった一人の友達だと思っていたマーニーが、もう友達でないように感じます。そして熱が出て三日寝込んだあと「絶対に許さない!」と言ってマーニーに会いに行くのでした。

 そして謝罪のシーン。原作ではこうです。

角川版 P200-201

「アンナ!大好きなアンナ!」
「なあに?」アンナもさけびかえした。
「アンナ!ああ、あなたのところへ行きたいのに!行けないのよ!わたし、部屋に閉じ込められているの。それに、あしたになったら、どこかへやられちゃう。あなたに言いたかった--さようならって。でもここから出してもらえないの。アンナーー」
 マーニーはガラスの向こう側で、どうしようもなく悲しい顔でさけんだ。「お願い、私を許して!あんなふうにあなたを置き去りにするつもりはなかったの。あれからずっと、ここにすわって泣いていた。ねえ、お願いだから私を許すって言って!」

 一方、映画ではこうでした。

マーニー「杏奈!大好きな杏奈!」
杏奈「マーニー!どうして私を置いていってしまったの?どうして私を裏切ったの!?」
マーニー「ごめんなさい、そんなつもりはなかったの。だってあのとき、あなたはあそこにいなかったんですもの
杏奈「どういうこと?」
マーニー「ああ杏奈あたしもうここからいなくならなくてはいけない。あなたにさよならしなければいけないの。だからねえ杏奈お願い、許してくれると言って!」

 おわかりでしょうか?原作と映画では決定的に違うところがあります。原作ではマーニはアンナを置いていってしまったことを「そんなつもりはなかった」と言っています。しかし映画では「あのときあなたはいなかった」つまり「私はあなたを置き去りにしていない」「私は無罪!NOギルティー!」とマーニーは言っているのです。

 あれ、マーニーって無罪?

 なぜ映画ではそういう表現を使ったのでしょう?映画ではマーニーが杏奈を「和彦」と呼んだり、杏奈の口から「マーニーは私が空想で作った友達」と言わせたり、マーニーはあくまで祖母の記憶の追体験だという印象付けが行われていました。であればサイロでマーニーが杏奈を残していったのも、祖母の話には杏奈が登場しなかったのだから当然ということになります。

 マーニーがアンナを置き去りにするなんて、酷い話だし、ちょっと違和感ありますよね?もしかするとジブリは観客がマーニーに対して理不尽さを感じないように原作小説を分かりやすく噛み砕いた解釈を観客に伝えたかったのかもしれません。

 ただ、もし「杏奈がその場に居なかった = マーニーは無罪」となると、マーニーは一体何を謝罪しているのでしょう?また杏奈は何を許したのでしょう?

マーニー「私は無罪なの!だから怒らないで!
杏奈「なあんだ無罪だったんだ。じゃあもう怒らない!

映画ではこういうことになってしまっている気がします。

 確かに「杏奈があの場にいなかった」なら、観客も「なあんだ、マーニーはやっぱりアンナを裏切ったりしなかったんだね!」ホッとします。でも、このシーンの大切な意味が薄れてしまってはいないでしょうか?

 一方、原作はもっと力強く、そしてストレートです。

マーニー「あなたを置いていった私を許して!だってあなたを愛しているから!
アンナ「許してあげる!わたしもあなたを愛しているから!

 マーニーがアンナを残していったことですら「どうせたいしたことではない」とアンナが気付いたからこそ、このシーンには意味があるような気がします。


つづく


思い出のマーニーとは編集


*1:STAND BY ME