思い出のマーニーをふりかえる12

思い出のマーニーがテレビで初放送されましたね。テレビの影響でこのブログを訪れる人も増えたようです。


マーニーファンも、すこし増えたでしょうか?


まだまだマーニーについては書きたいことがあるので、引き続き考察をしていこうと思います。*1


別れのシーンの解釈 ふたたび


以前、このブログにこんな図を載せました。

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アンナには三つの悩みがありました。しかし、マーニーの謝罪だけでこれらの悩みが全て解消されるのは不自然です。これらの悩みを同時に解決する「何か」が必要なはずです。

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それは一体何なのか?


この答えを分かっている人はきっと多いですよね。


私は鈍いので、ようやく気がつきました。


この3つの悩みの根底にあるもの。それは「アンナは誰にも愛されたことがない」(と彼女が思い込んでいる)ことです。


アンナが祖母や母を憎むのは、アンナを愛してくれるべき彼女達から、愛を注がれた記憶がないからです。


アンナから友達が遠ざかるのは、愛に飢えたアンナが、友達を猜疑の目で見てしまうからです。


アンナが養育費で悩むのは、自分は愛されていないかもしれないと不安になったからです。


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三つの悩みの根源は同じ


幼い頃のアンナは、祖母であるマーニーから愛されていました。しかし、その記憶は遠くなり、やがて失われてしまいます。


アンナは何か大切なものをなくしたはずなのに、彼女にはそれが何なのかが分かりません。


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自分が何を無くしたのかが分からないアンナ(角川版P109)


そんなアンナが出会ったのが湿地屋敷です。


湿地屋敷を見つけたアンナは「これこそ私が捜し求めていたものだ」と感じます。


しかし彼女が本当に捜し求めていたものは、湿地屋敷ではないように思えます。


彼女が本当に捜し求めていたもの。


それは、かつて彼女が知っていた「愛」だったのです。


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アンナは湿地屋敷に、失われた「愛」を感じていた


物語でアンナは、まるで「他人に関心が無い子」であるかのように書かれています。しかし、アンナは本心では他人と友達になりたいと思っています。


けれども、アンナが他人と仲良くなろうとしても、すぐに相手の方がアンナから興味をなくしてしまいます。
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アンナは自分が他人と仲良くなれない理由を自分が「目に見えない魔法の輪」の外にいるからではないかと考え始めました。


自分は他人から愛されない子かもしれない。


でも、アンナにはたった一人の例外がいました。それは養母のミセス・プレストン(頼子)です。


ミセスプレストンだけは自分を愛してくれているとアンナは信じていました。


ところが、養育費の存在を知ったアンナの心は揺らいでしまいます。
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もしかするとミセス・プレストンも本当に自分を心から愛しているわけではないのかもしれない。


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養育費の存在がアンナの心に陰を落とした


やはり自分は他人から愛されない子なのではないか?


そんな時に出会ったのがマーニーです。


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アンナは、マーニーは本心からアンナのことを好きなのだと信じました。


二人は一生友達でいる誓いを立てました。アンナは「こんな幸せを感じたことが無い」とまで思います。

ふたりは砂の上に、自分達をかこむようにぐるりと輪をかき、手をにぎりあって、永遠に友達でいる誓いを立てた。そうしてはじめて、マーニーは満足した。アンナはこれまで、こんなに幸せだと感じたことはなかった。(角川版P158)


しかし、風車小屋(サイロ)の事件が起きてしまいます。


心からの親友になれたと思ったマーニーも、結局は自分を心から好きだったわけではなかったのだと、アンナは絶望してしまいました。

マーニーは、わたしをひとり風車小屋に残して、行っちゃったんだ。まっ暗な中、おびえるわたしをひとりぼっちにして。それなのにわたしときたら、マーニーを親友だと思っていたなんて!(角川版P195)


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マーニーも結局はうわべだけの友達だったのか?


もう二度と、だれも信じない。(角川版P195)


しかし、嵐の中で必死に叫ぶマーニーの声がアンナに届きました。
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マーニーの言葉はほとんど風に運ばれてしまい、マーニーの顔は窓の外を川のように流れ落ちる雨のせいで、ぼんやりかすんでいた。


それでもアンナには聞こえていた。ちゃんとわかった。


その言葉はまるでアンナの中から出てきたかのように、風や雨などものともせず、はっきりとアンナの耳に届いた。(角川版P201)


アンナは「マーニーが1人で帰った」から怒っていたのではありません。


アンナは「マーニーからの謝罪」を求めていたわけではありません。


そして「謝罪されたから許した」わけでもないのです。


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この解釈は誤り。アンナにとって謝罪はどうでもいい。


このとき、アンナにとって本当に大切だったことは、たったひとつ。


たったひとつのシンプルな答えです。


「マーニーとの友情は、本物の友情だったのか?」


このことだけが、アンナにとって本当に大切だったのです。


そして、マーニーはやっぱりわたしの友達だ、私のことを大好きなんだと、アンナは心から信じることができました。

突然、マーニーに対して感じていた、あのはげしい怒りがすべて、さっととけてなくなった。マーニーはやっぱりわたしの友達だ。私のことを大好きなんだ。(角川版P201)

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アンナはマーニーを「許した」のではなく、マーニーが本当の友達なのだと「信じる」ことができた


物語で度々登場する言葉

Hold fast that which is good (よきものをしっかりと掴め)


アンナはしっかりとよきものを掴んだのです。

魔法の輪とはなにか


物語が終る直前、アンナはこんなことを思っています。

雨の勢いが強くなって、びしょ濡れになりかけていたけど、そんなのはどうでも良かった。体の内側は暖かかった。


うしろに向きなおって、堤防を走りながら考えていた。"内側"とか"外側"という考え方、なんて不思議なんだろう。


それは他の人と一緒にいるかどうかとか、"一人っ子"か大家族の一員かとか、そんなこととは関係がない。


プリシラやアンドルーだって、ときどき"外側"にいるような気がすることがあるらしい。それも今はわかっている。


だから、問題は自分の心の中でどう感じているか、なのだ。(新潮版 P350)


物語は最後、アンナが輪の「内側」に入ったかのような描写で終わります。


しかし魔法の輪とは、一度入ればよいものではなく、実は内側に入ることも外側に出ることも、しばしば両方があるものだったのです。


リンジー家の子供たちだって、時々輪の外側に出てしまうことがあることに、アンナは気づきます。


問題は、アンナが、常に輪の「外側」にいて、「内側」に入ることができなかったことです。


リンジー家の子供たちは、輪から出ても「内側」に戻れるのに、アンナはなぜ「内側」に入れなかったのか?


それはアンナの心の中に「たしかなもの」が無かったからではないでしょうか。*2


先日、テレビで心理学者が話すのを偶然に聞いたのですが、心理学には「ドック理論」という言葉があるそうです。*3


ドックとはDock、すなわち「母港」*4です。


人には、何か失敗したり、落ち込んだり、自信を失ったりすることが良くあります。


こんなとき、心の中に「母港」と呼べるものがあれば、そこに戻って傷ついた心を癒すことができます。


「母港」とは探索の基地であり、冒険に出かけては帰ってくる母港でもあり、癒しとともに次なる行動のエネルギーを補給してくれる存在なのです。


しかし、アンナの心には、その「母港」となるべき物がありませんでした。


アンナは人と知り合うと常に「相手が本当に自分のことを好きなのか?」ということばかりを気にしてたように思えます。


愛に飢えていたからです。


でも、知り合ったばかりの人を心から好きになる人なんて、いないですよね?


それは友情が深まるに連れて、だんだんと育まれるものだからです。


それなのに「誰からも愛されていない」と感じているアンナは、そんなことに価値基準を置いてしまっているのです。


けれどもマーニーとの出会いにより、アンナは「たしかなもの」すなわち心の「母港」を手に入れることができました。


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「たしかなもの」を得たアンナは、輪の「外側」に出ても大丈夫になった


物語の後も、アンナが再び輪の「外側」に出てしまうことは、何度もあるでしょう。


しかし、心の中にしっかりと「錨」を下ろすことが出来たアンナは、このさき魔法の輪の「外側」に何度出てしまおうと、しっかりと「内側」に戻ることができるようになったのだと私は思います。


つづく


*1:そろそろ「何回ふりかえれば気が済むんだよっ!」という気がしてきましたが・・・

*2:「たしかなもの」という言葉も原作に度々登場します

*3:検索しても出てきません

*4:正確には「船渠」ですが、なじみが薄い言葉なので、ここでは「母港」として話を進めます