思い出のマーニー 感想と考察 14 (マーニー幽霊説の疑問点)

※以下、ジブリの新作アニメ「思い出のマーニー」のネタばれが含まれています!!※


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マーニー幽霊説の疑問点


さて、再びマーニーの考察を再開したいと思います。
以前にも書きましたが、この映画を見て私が最初に感じたことは以下のとおりです。

  1. マーニーは祖母の幽霊だった
  2. 別れのシーンは暗に祖母が杏奈を残して死んだことを謝罪している


マーニーが幽霊だという解釈には、映画の中でそれを思わせるシーンが幾つかありましたので、さほど不自然な解釈ではないように最初は思えます。ボートのオールが動かせなくなったり、マーニーが「あたしは屋敷のそばから離れられないの」と言ったり、彼女はまるで湿地屋敷の地縛霊のような描き方をされています。


しかし、時間が経つにつれ、この考えには疑問が出てきました。


最初の疑問としては「もしマーニーが幽霊だとすると、彼女は何のために化けて出たのか?」というものがあります。


幽霊というものは通常、この世に何らかの未練があって、その未練を"恨めしく思う"または"解消したい"ため出てくるものです(よね?)*1


この映画の場合、マーニーの未練は「杏奈を"残して"早死した」ことだと思います。


でも、もしそうであるならば、なぜマーニーは杏奈を残してサイロからいなくなってしまったのでしょうか?


杏奈を残して一人ぼっちにさせてしまったこと。それこそがマーニーの未練であり、それゆえに化けて出た彼女が絶対にやってはならないことのように思えます。


むしろ、何がなんでも杏奈をひとりぼっちにはさせない!今度こそは決してひとりぼっちにはさせない!そう思うことこそがマーニーにとっては自然な考え方ではないでしょうか?


もし、物語の流れが以下であったのであれば、なんとなく理解できます。

こんどこそは杏奈をひとりぼっちにさせない!(幽霊である彼女に訪れた再チャンス)

ミッション成功!

未練解消、そして成仏


しかし実際には、またもや彼女は杏奈を残して行ってしまうのです。


別れのシーンで謝罪しているものの、もしマーニーが意図的に杏奈をサイロに残し、それをネタに謝罪したというのであれば、もうこれは完全に彼女の自作自演ということになってしまいます。


次に不思議に感じたのは、別れのシーンのあとでおこった杏奈の心の変化です。


もともと杏奈には次の苦悩があったと思います。

  1. 母と祖母は自分を残していってしまった。
  2. 自分は魔法の輪の外側にいる。
  3. 養母の頼子が養育費を受給していることを杏奈に隠している。


それが、別れのシーンのあとには、これらが全て解消されているかのように見えます。


マーニーが単なる幽霊で、それと悟った杏奈が「祖母が自分を残していってしまったこと」を許したのであれば、1が解消されるということは納得できます。しかしそれに加えて養育費の問題と魔法の輪の問題までもが解消してしまうのは、なんだか少し唐突ではないでしょうか?


というのは、マーニーが祖母であり自分を愛してくれていたとしても、それは養育費や輪とは直接の関係がないと思うからです。


マーニーのを感じたので、杏奈はなんとなく寛大な気持ちになった!というのでは、一見問題が解決されたように見えたとしても、根本的には何も解決されていないような気がします。


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ところで魔法の輪って何だっけ?


さてさて、ここで改めて魔法の輪とはそもそも何だったのかについて考えたいと思います。


魔法の輪については映画では杏奈の冒頭のセリフでしか言及がありませんでした。

この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、この人達は内側の人間。そして私は外側の人間。 


どうやら、杏奈には友達がいなくて、ひとりぼっちのようです。


原作では魔法の輪については、どのように語られているのでしょうか?目につく記述を以下に抜粋します。


角川版P10-11

だってみんなは「中」にいるから−−目に見えない、魔法の輪のようなものの中に。でもアンナは「外」にいる。だからパーティーやなんかは、アンナにはぜんぜん関係がない。

角川版P49

きっとその人たちも、ほかの人たちと同じく、うわべだけ愛想よくしてくれて終わるだろう。「外」にいるアンナのことを「中」からおもしろそうにながめ、自分たちと同じものが好きで、同じものをもっていて、同じことをするものだと決めてかかる。


魔法の輪とは、つまり仲間がいるかどうかってことなのでしょうか?つまり仲間の中にいれば「中」、ひとりぼっちなら「外」という解釈ですが、どうやらそうでも無いようです。


角川版 P346-347


 「中」
にいるとか「外」にいるって、不思議だなと思った。そばにだれかがいても、ひとりっ子でも、大家族でも、関係ないプリシラも、それからアンドルーさえも、時には「外」にいると感じていることを、今なら知っている。それは自分の「中」の気持ちと関係しているんだ。
 あと二分もすれば湿地屋敷に着くだろう。そうしたら、まきのいいにおいをかいで、パチパチ火のはぜる音を聞きながら、ほかのみんなといっしょに暖炉の周りで足をあたためたり、お茶とこんがり焼いた丸パンを食べたりするはずだ。けれど、そんな時よりも、「外」で雨風にさらされてたったひとりで堤防を走っている今のほうが、むしろ自分が「中」にいると感じることができる。


ここでは、雨の中でたった一人表にいるアンナが自分は「中」にいると感じています。


つづく


*1:残念ながら幽霊に会ったことはまだないので、単に私の決め付けですが^^;