ハウルの動く城 感想と考察1

10/9(金)に、日本テレビの『金曜ロードSHOW!』で、ついに思い出のマーニーがテレビで初放送されるそうです。


予告動画も公開されました。
https://youtu.be/yllU8n5RDOwyoutu.be

※放送終了と共にリンク切れになりました


思い出のマーニーについては、まだまだ書きたいことが残っているのですが、今日はマーニーに先立って10/2に放送されるという、ハウルの動く城について感想と考察を書きたいと思います。


この記事ではネタばれをするので、映画を未見の人は読まないことをおススメします。10/2の放送をお楽しみに。


また、映画を見ていたとしてもストーリーを忘れている人は、事前にwikiのあらすじを参照すると、この記事をより楽しめると思います。


世間の評価

ハウルの動く城 [DVD]

確かこの映画を見たのは、テレビ初放送の時だったと思います。調べてみると初放送は2006年です。もう9年前になります。その時はあまり面白い映画だとは思わず、それからは見返す機会がなかったのですが、先日9年ぶりにこの映画を見返しました。


見てビックリしました。これは大傑作です!


9年前とはまるで違って、最後まで夢中で見てしまいました。私の中で何らかの変化があったのかもしれません。宮崎駿の最高傑作と言っても良いくらいです。これほど美しいファンタジー作品が、他にあるでしょうか。


でも他のジブリ作品に比べると、評価はイマイチぱっとしません。Yahoo! JAPANのレビューを見ると以下の点数でした。


たしかに、ハウルは「誰が見ても面白い」という映画ではなく、ある程度「人を選ぶ映画」になっている気がします。


宮崎駿は、この映画を作る際に、映画に登場するシーンや魔法の説明を一々説明するような映画にはしたくなかったといいます。それがこの映画の敷居を高めている原因でしょう。


今回は私がこの映画を見て感じたことやネット上で見つけた解釈などを整理して、皆さんに紹介したいと思います。


きっとこの映画の魅力を発見するきっかけになると思います。

死に場所をさがす少女


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主人公のソフィーは二人姉妹*1の長女です。父が遺した帽子屋を継いでいますが、その仕事を望んで働いているわけではなく、自分の運命に受動的になっている様子です。


妹からはこんなことを言われてしまいます。

お姉ちゃん、自分のことは自分で決めなければダメよ。


性格も社交的ではないようです。街では軍の出陣式らしき華やかなパレードがあり、他の従業員が着飾って見に行こうとするのに、1人だけ誘いを断わって仕事を続けます。


けれど本当はお洒落にも興味があるようで、鏡の前でポーズをつけたりもします。ですが、自分には自信が持てないようです。
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鏡の前でポーズをつけても、すぐにブスッとするソフィー


そんな女の子だったソフィーですがが、町で出会った美青年の魔法使いハウルに一目ぼれ。束の間の夢を見ます。
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生まれて初めてイケメン男子と手をつないだソフィー


しかし現実は非情です。その晩、ソフィーは呪いで老婆にされてしまいます。
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「おちつかなきゃ!」という彼女が、おちついて下した決断。それは「死ぬ」こと。帽子屋を抜け出して荒地に死にに行くというまさかの急展開!
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死に場所を求めて荒地に向うソフィ


ヨボヨボのおばあさんが、一食分だけの食べ物だけを片手に、何のあても無く荒地に向う。これ、客観的に見て死に場所を見つけることが目的ですよね。風も強く、雪も降り始めて、非常に寒そうです。ついには地面に座り込んでしまいます。


途中まで馬車で送ってくれた人に「この先に妹が住んでいる」と説明した様子ですが、その妹とやらはこの会話だけでしか登場しません。恐らく嘘でしょう。*2


物語冒頭のソフィーには、厭世的な気配が漂っています。


この後、ソフィーはカカシのカブが連れてきたハウルの動く城に住むことになるのですが、このすこし後のシーンに印象的なセリフがありました。ソフィーは美しい湖の畔でこんな会話をします。

マルクル「カブって悪魔の一族かもしれないね。カルシファーが怒らないもの」
ソフィー「そうね。死神かもしれないわね」


もしかするとカブはソフィーがあの世に行く時に出会った死神で、今見ている光景はあの世の光景かもしれない、ということなのでしょう。


実際、カブに出会っていなければ、ソフィーはあの夜に飢えと寒さで死んでいたかも知れません。


ソフィは、カブに命を救われたのです。
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ソフィーに助けられたカブは、ソフィーの命を救っていた


ソフィーを愛したカブの目には、最初から若きソフィーが映っていたのでしょうか?


この後、ソフィーは城で掃除婦として働くことになります。

ハウル 「掃除婦って、誰が決めたの?」
ソフィー「そりゃあ私さ。こんなに汚い家はどこにもないからね」


考えすぎかもしれませんが、どうやらソフィーは「自分のことは自分で決めた」ようです。心なしか、彼女の背は当初よりまっすぐになった気がします。

現代っ子で甘えんぼうのハウル

なんだかんだハウルの動く城に住むことになったソフィー。


この城の主のハウルは、自分の見た目にこだわるナルシスト。物腰もスマートで、外見はパーフェクトなイケメン青年です。
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しかし、自分の見た目にはこだわるものの、城の中身は全く逆。すごい汚れ方をしています。
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どうやら、イケメンなのは見た目だけのようです。この後、ソフィーが風呂場の掃除をしたせいでひと悶着あります。

ハウル「ソフィー!風呂場の棚いじった!?ソフィーが棚をいじくって、まじないをメチャクチャにしちゃったんだ!」
ソフィー「なにもいじってないわ。綺麗にしただけ」


掃除をする母と、それに怒る息子。まさにどこの家庭にもありそうな会話です。


この映画のテーマで「家族」があるそうですが、このあたりのハウル現代っ子の象徴といった感じなのでしょうか。


この出来事が原因で髪の毛の色が、金髪から赤髪に変わってしまうハウル

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ハウル「美しくなければ生きていたって仕方がない!」


この映画を作ったとき、宮崎駿は既に還暦を迎えていました。老いて醜くなった老人には価値が無いのか、という問いが一つのテーマとしてこの映画にはあったようです。


映画冒頭のハウルは、現代の若者を象徴しているかのような描かれ方です。ハウルの一言は、見た目や外面ばかり気にして、内面は軽視している若者の象徴なのです。


コンプレックスを突かれたソフィーは「私は美しかったことなんて一度も無い!」と号泣。
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私は美しくないので、生きていたって仕方がない・・・


この直後、ハウルは赤髪から黒髪になってしまうのですが、ハウルの髪の色は本来黒のようです。
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もともとの髪の毛は黒


余談ですが、ヨーロッパでは歴史的に赤髪の人は迫害されていたそうです
参考:http://matome.naver.jp/odai/2138926037443895401


ですから、このシーンは私としては非常に気になる描写です。社会的弱者を露骨に傷つける表現になっているからです。もし白い肌が黒い肌にかわってしまって「美しくなければ生きる価値が無い!」などと言ったら、数多くのクレームがくるでしょう。


もしかしたら、実際に来ているのかもしれません。


さてさて。髪の毛の色が戻ってショックを受けたハウルは寝込んでしまいます。


そしてソフィーに、自分は本当は臆病者なんだと告白するハウル。王様に戦争に呼び出されたようですが、とんでも無いことを言い出します。

ハウル「ソフィーが代りに(召集を断りに)行ってくれればいいんだ!」
ハウル「マダム・サリマンも諦めてくれるかもしれない!」


私は最初、この時のハウルの意図が分かりませんでした。


マダム・サリマンはハウルの師匠で、大魔法使いのようです。恐らくソフィーの呪いもひと目で見破る力があるでしょう。彼女が騙されるとは思えません。


それなのに、なぜこんなことを言い出すのか・・・?


つまり、ハウルはソフィーに甘えています。彼にとってはサリマンを騙せないことなんて、実はどうでも良いことです。


ハウルはソフィーを試しているのです。自分のワガママを聞いてくれる人なのかどうかを。


映画にはこんな会話がありました

ハウル 「子供の頃の夏に、よくあそこで1人で過ごしたんだ」
ソフィー「1人で?」
ハウル 「魔法使いのオジが僕にこっそり残してくれた小屋なんだ」


ハウルはオジに育てられたのでしょうか?どうやら孤独な子供時代をすごしたようです*3カルシファーと契約する前の子供の頃は魔法学校に入っていたようですし、恐らく寄宿舎生活です。


映画の描写からは、ハウルは母を知らずに生きてきたような印象を受けます。


もしかすると、ハウルはソフィーに母性を求めたのかもしれません。甘えるということによって。


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ハウルはソフィーに母を求めている


ブツブツ言いながら、特に抗うでもなくハウルのために王宮へ向うソフィー。それだけでハウルは嬉しかったことでしょう。授業参観に母が来てくれたときの、あの感覚です。


ここまで書いてきてふと気付きましたが、風呂場の掃除での一悶着の件も、もしかするとハウルは母とああいう言い争いをすることに憧れを感じていたのかもしれません。


見栄っ張りで、人の見えないところはだらしが無く、けれども母を知らずに甘えん坊なハウルなのでした。


これ以降、彼は髪を染め直すことも無く、服装もごく落ち着いた姿になります。ハウルの心境に何らかの変化があったのかもしれません。

ソフィーの呪いはいつ解けたのか?


この映画の謎の一つは、ソフィーの"老人になるという呪い"がいつ、どうして解けたのか?ということです。


この物語は、ソフィーが呪いにかかるところから始まるので、普通ならば「呪いが無事に解けるかどうか」が映画の重要な「焦点」になるはずです。


しかし不思議なことに、この映画ではそれが焦点にはなっていません。いつの間にか何の説明もなく呪いが解けてしまっています。


恐らくこれが、この物語が観客を混乱させてしまっている最大の原因でしょう。


実は、原作ではかなり早い段階でハウルがソフィーの呪いを解いているようです。映画でもカルシファーが呪いを解くのは「簡単」と言っているので、ハウルにも簡単に解ける呪いだったのかもしれません。


しかし原作では呪いを解いているにもかかわらず、ソフィーは老婆のまま若い姿にはもどりません。ハウルはそれを「彼女が無意識的に、老人でいることを望んでいるから」だと解釈しているそうです。


この映画においても、ソフィーに「老人でいたい」という無意識の心理が存在するという設定は維持されていると思います。


それどころか、むしろ宮崎駿はこの設定をさらに強調しています。映画では、ソフィーは若返ったり、老人に戻ったりを繰り返しますが、これは原作にはない描写だそうです。


若返ったシーンを「ソフィーが呪いを破って若返ろうとしている」と解釈することも可能ですが、映画冒頭の彼女や若返っているシーンの彼女を見る限り、呪いを破るほどの活力を彼女から感じることができません。


むしろ本来若いはずの彼女が、呪いが解けているにもかかわらず、なんらかの理由で老人の姿に留まっている、と解釈したほうが自然に物語を見ることができます。


物語冒頭の彼女は、運命に受動的で、自分の未来を自分の意思で決定しようとしません。自分の容姿に自信がなく、若い兵隊にお茶に誘われても喜ぶどころか恐怖で声が上ずってしまいます。年齢は若いのに心はひどく乾燥しているのです。


もし若者が老人になってしまったのであれば、元の若い姿に戻りたいと思うのが当然であるはずです。それなのに、なぜかソフィーは若返りたいような素振りを全く見せていません。老人の姿であることを自然に受け入れてしまっています。


それはなぜか?


つまりソフィーは老人であることに居心地の良さを感じているのです。それどころか「こんなに穏やかな気持ちは初めて」とすら言いだします。


老人でいればもう美しさは問題にならず「自分は美しくない」というコンプレックスからも解放されるからです。老人ならば、未来に立ち向かう必要もありません。*4。彼女は少女でありながら心は既に老いていたのです。


「勇気を失っていること」これこそがソフィーの心の中に隠された、魔法の呪いよりもさらに深刻な"本当の呪い"ではないでしょうか。


私の考えでは、ソフィーは城でハウルに会った直後荒地の魔女から掛けられた呪いを解かれています。


ソフィーが寝ている間は若返っているかのような描写がありますが、あれは寝ている間は呪いが消えるのではなく、寝ているあいだは「老人でいたい」という気持ちが消えているのではないでしょうか。
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実はもう呪いが解けている


その証拠に、ソフィーが城でハウルと出会う前に、椅子で寝ている時は少女に戻っていません。
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城でハウルに会う前(呪いを解かれる前)は、寝ても少女に戻らない


次に若返りが見られるのは、サリマンとの会話シーンです。この時、恐らくソフィーは自分がハウルに恋していることには気付いていません。


若い姿の時でさえ自分には自信がなく、しかも今は年老いた姿の掃除婦なのです。どうして今の自分が、若いハウルに恋などできるでしょうか?


けれども、ハウルについて語っているうちに、彼女の本当の気持ちが内側からあふれてきます。ソフィーは無意識のうちに、一瞬だけ少女の心を取り戻します。


しかし、自分の本当の気持ちをズバリとサリマンに指摘され、思わずソフィーはハッとします。そして自分が恋をしているという事に初めて気付き、驚き、自分の感情に恐れを抱いたのです。


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自分が恋をしていることに驚き、老人の姿に逃げ戻るソフィ


マダム・サリマンの指摘によって、ようやくソフィーは自分の気持ちに気がつきました。その夜、ソフィーはハウルの夢を見て、そして愛を告白します。
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夢の中では自分の気持ちに素直になれるソフィー


しかし夢の中のハウルはソフィーを受け入れませんでした。目覚めたソフィーは「勇気を出さなければ」と呟きますが、なかなかそうは行かないようです。
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しかし、この後もソフィーは勇気を出せない


それは、このシーンによく現れています。ハウルが自分の帽子屋の部屋を用意してくれて、胸をトキめかせたソフィーは思わず少女に戻ってしまいます。机の上にもベッドの上にも、プレゼントの箱が積まれており、ソフィーの胸は一杯になってしまって、彼女は少女の心を一瞬だけ取り戻したのです。
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ああっ、まさかハウルが私のために?(ドキドキ)


しかし「自分は掃除婦のお婆さんなのだ」と思い返し、再び老人の姿に逃げ戻ってしまいました。
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いいえ、勘違いしたらダメ・・・私はただの掃除婦よ


つづく花園のシーンで、ソフィーは「小屋へ行ったらハウルがどこかへ言ってしまう気がする」とか「私、ハウルが怪物だって平気よ」などと言いますが・・・

ハウルは私に好意を抱いているようだ! ==>> じゃあハウルは人間ではないに違いない


ソフィ、どんだけ(笑)



そして、最もソフィーの感情が如実に表れているのが、ハウルが「ソフィーはきれいだよ!」という場面です。
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勇気を出すことができずに、自ら老人でいることを選択してしまうソフィ

 

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ソフィー「年寄りの良いところは、無くすものが少ないことね」


もし、ハウルからの愛を素直に認めてしまえば、今後の彼女は、それをいずれ無くすかもしれないことを恐れつづけねばなりません。


しかし、彼女が老人でいさえすれば、無くすことを恐れる必要はないのです。


・・・最初から手に入れることがない代わりに。


もしかすると、ハウルと同様に、ソフィーもまた現代の若者の象徴なのかもしれません。若いのに、失うことや失敗することばかりを恐れて、心はまるで老人であるような若者の姿です。


このとき、老婆に戻るソフィーを見るハウルの表情が、映画の前半で、少女の姿で寝ているソフィーを見つめるハウルの表情と通じるものがある気がします。
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老婆でいることを選択しつづけるソフィーに、ハウルは何を思うのか・・・


しかし、動く城での「家族」との触れ合いが、彼女の呪いを解きほぐしていきます。恐ろしかった荒地の魔女も、今や良き相談相手です。マルクルは彼女を「家族」だと言ってくれます。そして彼らには戦火が迫り、彼女はいつまでも「逃げている」わけにはいかなくなってくるのです。


そして、決定的なシーンが訪れます。「戦いに行ってはダメ!」とおいすがるソフィーに、ハウルは決然として語ります。
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僕はもう充分逃げた。ようやく守らなければならない者ができたんだ。君だ。


この言葉でソフィーはハウルを心から信じました。もはや彼女には老人に戻る必要はなくなったのです。


このシーン以降、ソフィーは二度と老人の姿を見せなくなります。


本当の意味で、彼女の"呪い"が解けたのは、この瞬間だと言えるかもしれません。


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ハウルの言葉が、ソフィーの心に隠されていた"本当の呪い"を打ち砕いた


ハウルは逃げ続けてきました。そして、ソフィーもまた逃げ続けてきました。しかし、もう二人は逃げません。愛する者ができたからです。


余談ですが、花園のシーンでハウルが「花屋さんがあの小屋でできないかな?」と言っており、最初この映画を見たときは「こんな場所に客が来るわけがない」と思ったのですが、よくよく考えればカルシファーの「どこでもドア」で出口を街につなげられますね。たぶん、そういう意図の発言だったのでしょう。

ソフィーの髪はなぜ白髪のままなのか?


ソフィーの髪の毛も、この映画の謎の一つです。


当初の色、寝ているあいだ少女に戻るときの色、サリマンの前で一瞬若返ったときの髪の毛の色は「茶色」なのに、それ以降は若返っても「灰色」です。ソフィーの髪が灰色のままというのは映画のオリジナル要素のようです。


この点についても、いろいろな解釈があるようですが、私はベタに「茶色は昔のソフィー」「灰色は生まれ変わろうとしている/生まれ変わったソフィー」を表現しているのかなと思います。


もう一つ不思議なのは、映画の最後でハウル「ソフィーの髪の毛、星の光に染まっているね」と言うのですが、ハウルは以前に何度も灰色の髪のまま若返っているソフィーを目撃しているはずなんですよね。


最初、髪の毛の色は変わっていないのに、どうしてそんなセリフを言うのだろう?と思いました。


でもよくよく見ると・・・・
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左:花園のシーン、中:ハウルに心臓を返す直前、右:ハウルが目覚めたとき


肌の色は変化がないのに、髪の毛の色は次第に明るく変化しています。
もしかすると流星や、解き放たれたカルシファーの色に染まって、だんだん明るい色になっていったのかもしれません。


ハウルが見たのは左のソフィーで、中のソフィーは見ていませんから、色の変化も大きく、気づきやすかったのでしょう。



【追記】ソフィーの髪の色については、気になったので図書館で調べて見ました。「THE ART OF HOWL'S MOVING CASTLE」(徳間書店)の69ページに、この映画の色彩設計をした保田道世のインタビューとしてこんなことが書いてありました。

いつもキャラクターの性格や感情の変化、それと監督がどういう映画を作りたいのかという点を考えて色を決めるのですが、今回は特に場面によってキャラクターがどんどん変化し、それにつれて気持ちも大きく起伏します。それで、その時その時で色を細かく変えていきました。例えばソフィーは、途中でおばあさんになって、またもとの若い娘に戻るシーンがありますが、その間にハウルとの出会いとか、色んな体験をしているわけですから、最初のころのソフィーとは違っているだろうと。そう思って、ハウルの秘密の小屋がある高層湿原のシーンでふっと娘に戻ったソフィーの髪の色を白髪のままにしてみたら、これが意外に似合っていたのです。監督も「白髪のままでいったらどうかな」ということで、後半はそれで通しました。ただ、白髪の色もソフィーが中年に見えるときと、おばあさんに見えるときとでは微妙に変えています。

つまり「若返ったソフィーを白髪のままにするというアイディアは、ソフィーの人生経験を表現するために、作品に色を付ける段階になってから色彩設計保田道世によって考案された」というのが真相のようです。



あと、これは作画ミスなのか、意図的なものか良く分かりませんが、ソフィーの髪の付け根のリボンが突然1つ増えます。このシーンで走るソフィーは大人のソフィーです。髪の付け根にはリボンはありません。
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その直後のシーンがこちら。走りながら大人から少女へ変化したソフィーにはリボンが1つ増えています。
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ちなみに、ソフィーが呪いを掛けられる直前はこのリボンをしてたようです。
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どうやら呪いでおばあさんになる時に、リボンが1つ減ったようです。


・・・いろいろ書いてきてアレですが、もしかするとリボンが増えた瞬間に魔法が解けたのかもしれないですね(笑)*5



ソフィーはなぜ城を壊したのか?


印象的な城のどこでもドア。カルシファーの魔力で、城の出口がいろんな場所に繋がっています。
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上段:帽子屋への引越し前、下段:引越し後
引越し後は青いドアがなくなり黄に置き換わった


出口は複数ありますが、部屋そのものが移動するのではなく、部屋は特定の場所に固定されていて、出口だけが別な場所に繋がるようです。


さて、この映画で観客を混乱させている要素に、ソフィーが「引越しをする」と言って城を壊すシーンがあります。


ソフィーは自分で城を壊しておきながら、その次に「城を動かして」とカルシファーにお願いをするのです。


ちょっと意味がわかりませんよね?


まずソフィーが引越しを行おうと思った理由ですが、それは「ハウルが戦わなくてもすむようにするため」です。


ハウルはソフィー達がいる帽子屋を爆弾から守るために戦っているので、ソフィー達が帽子屋から荒地の城に引っ越せば、ハウルは戦わずに済むのです。


しかし、部屋のドアの色を荒れ地の城にあわせたとしても意味がありません。


なぜなら、あくまで部屋の実体は帽子屋の中にあり、部屋が城に移動するわけではないからです。


部屋の出口がカルシファーの魔力によって城の出口に繋がっているにすぎず、帽子屋に爆弾が落ちたら部屋はやられてしまいます。


だから、帽子屋から城に引っ越すには次の手順が必要になります。

  1. カルシファーを部屋から出して、城と帽子屋の空間のリンクを絶つ
  2. 帽子屋との関係が絶たれた後の城の中に、あらためて移り住む


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これでもう帽子屋に爆弾が落ちたとしても、城の中は帽子屋とは繋がっていないので、ソフィー達に危険が及ぶことはなくなります。


しかし、この引越しには問題があります。


引越し先である城は、中身が空っぽなのです。


サリマンの追っ手が、キングスベリーや港町にあった家に来るシーンがありますが、その時も家は空っぽでした。
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空間のリンクが切れて空っぽになった部屋


これからも分かるとおり、部屋の実体が無い場所は空っぽなのです。恐らく当初の部屋の実体は城の中にありました。しかしハウルによる引越しで実体は帽子屋に移ってしまい、今の城は空っぽで、移り住めるような部屋がありません。

カルシファー「あっちは空っぽだよ!」


それでもソフィーは引越しを強行しようとするのですが、さらに別の問題があります。


カルシファーがドアを通れるのかという問題です。


図で示したとおり、帽子屋にある部屋と城はカルシファーの魔力で空間がリンクされており、このリンクを維持するためにはカルシファーが部屋にいて魔力を発揮している必要があります。


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ドアを通過するということは、カルシファーの魔力に支えられたつり橋を渡るようなもの


それなのに空間をリンクさせているカルシファー自身がドアを通過しようとしたら、いったい何が起きてしまうのか。


例えるなら、つり橋を支えているロープの端を持ったまま対岸に渡ろうとするようなものです。そんなことが可能なのでしょうか?


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カルシファーは自分が支えているつり橋を渡れるのか?


カルシファー「オイラを最後にしたほうがイイぜ!どうなるかはオイラにもわからないんだ!」


結果としては、カルシファーは無事にドアを通過しました。そしてその瞬間に時空のリンクは切断され、その結果中身が失われてしまった城は、ペシャンコになります。


しかし、もしカルシファーをソフィーよりも先に出していたら・・・・カルシファーが部屋から出た瞬間に空間のリンクが切断されて、ソフィーの腕の先だけが荒地に行ってしまったかもしれません。あぶない所でした!


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もしカルシファーを先に部屋から出していたら、ソフィーは腕を切断していた



さて、無事に帽子屋と城のリンクを切断したソフィーは、空っぽになってしまった城の中に入って引越しを終らせます。一見すると城を壊してから城に入るという奇妙な行動のようですが、上で説明したとおり最初から彼女が想定していた合理的な行動です。


次に「ハウルを助けに行く!」と言い出すソフィー。


こはちょっと分かりません。ソフィーが引越しをした理由は「ハウルが戦う理由を無くすため」だったので、もしソフィーが戦場に戻ったら、ハウルは彼女を守るために戦い続けなければなりません。


そもそも、ハウルのところに行って、どうやって彼を助けるというのでしょうか?戦場では得意の掃除スキルも役に立ちそうにありませんし・・・。


そこでふと思いました・・・


城には巨大な主砲が三つもあるではないですか!


見たところ、この世界の戦艦と同等以上の口径がありそうです。この主砲ならば、戦えるかもしれません。


城とは本来、戦争のために作られた要塞であり、その防御力と火力は戦艦を上回るはずです。


はたして、ソフィーは砲撃戦をしようとしたのか!?


けれど残念!
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右下の、崩れた砲門に注目してください。何と空っぽです!


どうやらあの大砲は張リボテのようですね。

指輪の色はなぜ赤から青に変わったのか?


ソフィーがハウルから貰ったお守りの指輪。


物語前半では宝石の色が赤色をしています。指輪が放つ色も赤です。
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しかし物語後半では、宝石は青、放つ色も青です。
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これはどうやらカルシファーの色と関係がありそうです。カルシファーの色は赤ですが、弱ると青色に変わります。


指輪は、カルシファーの魔力で出来ているのでしょう。後半でカルシファーは水を掛けられて弱っていました。
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ソフィー、オイラくたくただよ・・・


そして、ソフィーが子供時代のハウルを目撃している最中、ついに指輪に込められていたカルシファーの魔力が尽き、ソフィーは元の世界に戻ってしまいます。

ハウルはソフィーをずっと待っていたのか?


「私はソフィー!待ってて!私きっと行くから、未来で待ってて!」
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この映画で一番印象に残るセリフですね。ソフィーは子供時代のハウルカルシファーに出会っていました。


では、ハウルにその記憶があったのでしょうか?


ネットで調べてみると「記憶があった」と思っている人が多いようです。


根拠としては、映画冒頭でハウルがソフィーに出会ったときに、ハウルの指輪が光っていること。そしてハウルの「さがしたよ」の一言です。


ハウルは子供の頃からずっとソフィーをさがしていたのでしょうか・・・
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意味ありげなセリフと、光る指輪


ソフィーの涙はなぜ止まらないのか?


「歩くよ、ヒン。歩くから・・・涙が止まらないの」


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このソフィーの涙にも、ネット上では様々な解釈があるようです。


一番多く見かけた意見は「ハウルが自分を子供の頃からずっと待っていたことに気づいたから」というものでした。


自分はハウルは、他人のために魔法を使っていたことに気づいたから」だと思います。


マダム・サリマンはハウルについてこう語っていました。


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「あの子は悪魔に心を奪われ、私のもとを去りました。魔法を自分のためだけに使うようになったのです」


しかし、実際はどうか。


ハウルは自分のためではなく、他人のために戦っていました。
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そして、謎だったハウルカルシファーの契約の秘密。ハウルはなぜ悪魔と手を結んだのか?


実はハウルカルシファーと契約したのは、自分が魔力を得るためなどではなく、カルシファーの命を救うためだったのです。
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カルシファーハウルが救わねば死ぬ運命だった


「魔法を自分のためだけに使う」と、人から言われているハウル


しかし、実際のハウル常に他人のために行動していたのです。悪魔に身を蝕まれながら。
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ハウルは他人のために身も心もすり減らしてしまう


ソフィーは、それを知ったから「涙が止まらない」のだと、私は思います。


ちなみに、物語の最後でソフィーがカルシファー


「心臓をハウルに返したら、あなたは死んじゃうの?」


と聞いているのは、カルシファーが死ぬ運命だったことをソフィーが気づいていたからですね。

戦争の原因は隣国の王子の失踪だった!?


物語の最後、マダム・サリマンはハウルたちの"ハッピーエンド"を見て「このバカげた戦争を終らせましょう」と言い出します。


当初は「じゃあ、なんのために戦ってたんだ?」と不思議に思っていましたが、合理的に考えれば、「戦う理由がなくなったので戦うのをやめる」はずですよね。


サリマンが目撃したいくつかの事実、例えばハウルが悪魔と手を切ったことや、ソフィーの呪いが解けたことなどは、国が戦争を止める理由にはなりそうにありません。


しかし、戦争の理由が「隣国の王子の失踪」であり、その責任の濡れ衣を隣国から着せられていたことによる戦争だったのであれば、それは確かに「バカげた戦争」だと言えるわけで、その戦争を終らせる理由をサリマンは見つけたことになります。


ヒンの正体はマダム・サリマンの夫?


謎の犬、ヒン。物語の最後にサリマンが「この浮気者!」と言っていますが、もしかするとヒンはサリマンの夫が犬に化けた姿なのかもしれません。


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遠く離れたサリマンに、テレパシー的な連絡を取れる能力があるようですし、何らかの魔力もあるのでしょう。


そういえば、ソフィーが城の階段でヒンを持ち上げたとき「なんでこんなに重いのよ!」と言っていました。


ヒンの正体が人間だったなら、重くても無理はありませんね。

城が動く理由


そもそも、あの城、どうして歩くのでしょうか?


その理由はズバリ「逃げるため」


原作ではハウルの趣味は女の子のナンパで、片っ端から口説くのですが、ハウルがふった女の子が家に押しかけてくるので、それから逃げるために城を動かしているそうです。


映画では、荒地の魔女からの手紙を受け取った直後に100キロメートルも逃げています。


100キロ城を動かせと言われたカルシファーも、目的地すら聞こうとしていません。「とにかくここから離れろ」という意味で、カルシファーも慣れっこになっているのですね。

僕はもう充分逃げた。ようやく守らなければならない者ができたんだ。君だ。


確かに充分逃げたのかもしれません(笑)




いかがだったでしょうか?


もし、これまでハウルがあまり好きではなかったのなら、もう一度見返してみてください。


きっとあなたも、ハウルの動く城が大好きになるでしょう。


おしまい

*1:原作では三人だそうです

*2:原作では三人目の妹が荒地の先にある谷に住んでます

*3:原作では家族が登場するようです

*4:ちなみに原作ではソフィーの髪の毛は赤毛のようです。髪の毛の色も、コンプレックスの原因だったのでしょう。そういえば、かの有名な「赤毛のアン」も、主人公のアンは自分が赤毛であることにコンプレックスを感じていましたね

*5:気になったのでDVDを見返しましたが、呪いを掛けられてから、上で紹介したリボンが復活する時までの間では、洞窟の中に倒れている鳥ハウルをソフィーが見に行くシーンにのみ、この付け根のリボンがありました。サリマンの前で若返る時や他のタイミングで若返る時にはリボンが無いので、作画のブレのような気がします