思い出のマーニーをふりかえる14

もうすこし十一(トイチ)のことを書いてみようと思います。


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なぜか人気があるトイチ。私のブログにくる人の多くは、彼の名を検索した人です。


彼の名は、岩波版と新潮版ではそれぞれ"ワンタメニー"と表記されているのですが、角川版だけは"アマリンボー"と意訳されています。


映画でも無口な彼でしたが、原作でも殆ど口を開きません。


物語の中で、彼とアンナが会話するのはたったの2回


彼とアンナの初めての会話は、こんな感じです。

ワンタメニー「Cold?」 (寒いか?)
アンナ「No」(ううん)


これだけ!わずか4文字(笑) アンナも2文字(笑)

その日ふたりが交わした言葉といったら、このふたことがすべてだった。(角川版P42)


それにもかかわらず、ワンタメニーはこの小説のなかで独特な存在感を持っています。


心理学者の河合隼雄は「子供の本をよむ」という書籍の中で、ワンタメニーのことを「この物語の片隅にひっそりとたたずむものの、欠くべからざる人物」だと書いています。*1


アンナも、人一倍顔見知りする性格のハズなのに、なぜかワンタメニーのボートにはチョクチョク乗ります。


しかし、アンナはボートにこんな感じで乗っているようです。


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アンナもへさきにすわってじっと前を見つめ、アマリンボーのことを気にせずいられた(角川版P41)


どうやら顔を見合わせるのは嫌なようです(笑)


物語前半のワンタメニーは、アンナを湿地のあちこちに連れて行ってくれるだけの存在のようでした。


しかし、やがてアンナは彼のことを愛すべき存在として理解するようになります。

アマリンボーに小さな男の子だったころがあるなんて、考えてもみなかった。なんてかわいそうな、小さなころのアマリンボー・・・。(角川版P271)


そして物語の最終章で、もうすぐロンドンに帰ることになったアンナ。

愛すべきアマリンボーおじいさん!さよならを言わなくちゃ。もう二度と会えないかもしれない。(角川版P344)


雨の中、窓の外にワンタメニーを見かけた彼女は、さよならを言うために傘も持たずに家を飛び出して走り出します。

「アマリンボー!」


アマリンボーがふりかえってアンナを見た。


「わたし、家にかえっちゃうの!さようなら!」


小船はどんどんアンナから離れていく。アマリンボーに声が届いたかどうかはわからないけど、アンナに向ってかすかに頭をかたむけたように見えた。


アンナは手を振ってから、思わず口もとをおさえ、また手をふった。


「金曜日に帰るの。さようなら!」


アマリンボーが「ああ、うん」と言うようにあごをあげた。


それから片手をあげて、まるでおごそかな敬礼みたいに一度だけふると、船はそのままカーブを曲がって見えなくなった。(角川版 P355)


この「思わず口もとをおさえ」という部分ですが、岩波と新潮は「投げキッス」と書いています。


原文では

She waved, then put her fingers to her lips and waved again.

と書かれています。


恐らく岩波と新潮は、アンナが手をふって、その振っていた手を唇にあて、再び手を上げて振りなおした、という解釈なのでしょう。それならば、確かに投げキッスに思えなくもありません。


しかし、アンナが振っている手と、口元に当てた手は、それぞれ別な手ではないでしょうか。


私としては、ここはアンナが投げキッスをしたのではなく、手を振っているうちに感極まってしまい、思わず片手で口元を押さえたのではないかと思います。


つまりアンナは涙を流していたのです。

アマリンボーにさよならを言えて、うれしかった。あんなにさびしい人を、アンナは知らない。(角川版 P346)


アンナは雨でびしょ濡れになりますが、心の中はポカポカしています。


アンナは気づいたのです。


ワンタメニーが、アンナと同じだということを。


彼がなぜ表情を無くしているのかということを。


それはアンナの「ふつうの顔」と同じことだったのです。


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ワンタメニーも「ふつうの顔」を装着していた。


もしアンナが黙ってロンドンに帰っていたら、きっとワンタメニーは傷ついたはずです。


ふつうの顔をしたまま。


でも、ワンタメニーの心の中で、きっとアンナの存在は「たしかなもの」になったのではないでしょうか?


つづく

*1:岩波の特装版マーニーの後書きにも、同じ書評が書かれているようです