思い出のマーニーをふりかえる9
本当の友達
マーニーが消えてしまった後、増水した湿地で溺れかけるアンナ。
映画では、マーニーとの別れは「夢の中」だったこともありアンナは無事でしたが、原作ではリアルにアンナは死にかけます。
■角川版 P203
土手に着くのがまにあわなければ、おぼれてしまうかもしれない。そんな考えが頭に浮かんだ。水はもう太ももまであがってきているのに、まだやっと半分しか進んでいない。でも、おぼれるわけにはいかない。みんなわたしに好き勝手なことをすればいい。だけど、わたしがおぼれたくないといったら、ぜったいにおぼれさせることはできない。なんとしても、あの角までたどりつかなくちゃ。
わたしが小説から受けるイメージでは、アンナは9歳くらいです。
小説のアンナは映画版よりも何歳か年下で、幼さを感じさせる描写も多いのですが、映画版の杏奈にはない一種の「気高さ」「孤高さ」のようなものを感じます。
つづくアンナの心の声には胸を打たれます。
■角川版 P203
アンナはこれから起こることを思いうかべた。想像の世界で、ずぶぬれのアンナは足を引きずりながら家に帰り、はうように階段をのぼって、自分の部屋に向っていく。あやうくおぼれるところだったけれど、そんなことはだれも知りはしない。
いつだってそうだった。わたしにとって大切なことは、だれもなにも知らなかった。
わたしがどういう思いでいるか--プレストンさん夫婦がお金をもらっていることや、わたしが変わり者扱いされていること、どうしたものか困ったと思われていることを、どう感じているかなんて、だれも知らなかった。マーニーのことだってそう。はじめてできた、わたしだけの親友なのに。そのマーニーはもういない!アンナはしゃくりあげた。そのとたんによろめいて、息をつまらせながら、灰色にうずまく水の中へたおれこんだ。
水の中に倒れこんでしまうアンナ。大ピンチです。
想像の世界で無事に帰宅するアンナ
このアンナの気持ちには共感する人も多いのではないでしょうか。自分にとって本当に大切なことは、他人は知らないものですよね。
それにしても、角川版のここの訳文は凄く気に入っています。特に以下のセンテンスなのですが
いつだってそうだった。わたしにとって大切なことは、だれもなにも知らなかった。
原文ではこうです。
Nobody had ever known anything that was important to her.
この"ever"を"いつだってそうだった。"と独立した文に訳すことによって、アンナの心の声が、より繊細に読者の心に響いてくると感じます。
この「アンナの本当の気持ち」に着目すると、アンナとマーニーの関係が良く見えてきます。
まずはパーティーの三日後にマーニーに出会ったときのアンナのセリフです。
■角川版P135
「すごくさみしかった」アンナは、自分がそう言ったことに驚いた。だれかに気持ちを打ちあけるなんてめったにないことだ。
自分の感情を素直にマーニーに伝えたことに自分でもビックリしてしまうアンナ。二人の関係が深まりつつある様子がわかります。
そして物語の最後付近のセリフ。
■角川版P347
あれはいつだっけ?---やっぱりこんな風の中、堤防をかけていて、同じように幸せを感じたことがあったような気がする。そう考えてからアンナは思い出した。あれはマーニーといっしょにいたときだった。はじめてキノコ狩りへ行ったあのとき---はじめてほんとうの友だちになったあのときだった。
アンナがマーニーと「本当の友達になった」と感じたのはキノコ狩りのときのようです。
その時、いったい何があったでしょうか?
■角川版P150
アンナは、心の中にしまいこんでいる、もうひとつの悩みに思いをめぐらせていた。そして、考えながらマーニーのほうをみた。
「すごい秘密を教えてあげたら、だれにも言わないって約束してくれる?」
そうです。「すごい秘密」・・・つまり養育費です。
キノコ狩りのシーンでは、アンナは自分の最大の悩みである養育費の話をマーニーに打ち明けていたのでした。
■角川版P154
マーニーはアンナの涙をぬぐった。それから急に、また楽しそうな調子にもどって言った。「どう?ちょっとは気分がよくなった?」
アンナはにっこり笑った。そう、ほんとうに気分がよくなっていた。まるで重いものが取りのぞかれたような気持ちだった。マーニーといっしょに草原を走ってもどりながら、アンナの心は空気みたいに軽やかだった
はじめてキノコ狩りへ行ったあのとき---はじめてほんとうの友だちになったあのとき
アンナにとって大切なことを、初めて知ってくれた人が、マーニーなのでした。