思い出のマーニーをふりかえる8
ある日本人のはなし
思い出のマーニーの原書のあとがきに、作者の娘であるDeborah Sheppardさんが聞いたという日本人のはなしが載っています。
ちなみに私が購入した原書はこちら
本が出版されてから30年後、ある日本人の男性が小説の舞台となったリトル・オーバートンを探してバーナム・オーバリー(Burnham Overy)にやってきました。
ずっと昔、彼がまだ若かったころ、彼は日本語訳された「思い出のマーニー」を読んだのです。
その本は彼に深い感銘を与え、彼は小説の舞台となった土地を見たいと切望するようになりました。
ある年の九月の終わり、彼は数泊のロンドンツアーに参加しました。
彼はほとんど英語を話せず、おまけにリトル・オーバートンがどこにあるのかも知りませんでした。彼の頼りは、手にした「思い出のマーニー」の本だけでした。
だから彼は、アンナがそうしたのと同じように、列車でキングス・リンまで行きました。そしてノーフォークの海岸へと向うバスに乗ったのです。*1
バスは満員で、誰もが彼に優しくしてくれました。しかしリトル・オーバートンがどこにあるのかを知る人は誰もいませんでした。
やがてバス停ごとに乗客は少なくなり、1人残された彼は不安になりました。そんな時、バスが道の角を曲がると、風車小屋が見えたのです。*2
「ストップ!ストップ!」彼はバスを降りました。「きっとここにちがいない」
しかし、そこはリトル・オーバートンではありませんでした。その村はバーナム・オーバリーでした。
彼はパブに向いました。そしてパブの主人から、彼は正しい場所にたどり着けたのだと教えられました。リトル・オーバートンとは、バーナム・オーバリーをモデルとした架空の村だったのです。主人は彼を入江に案内しました。
彼は感動にふるえました。
潮が満ちた入江や、錨につながれて揺れているボート、自然の湿地や野鳥、そして全ての始まりとなった屋敷の姿を、ついに見ることができたのです。
※画像はイメージです
原書が出版されたのが1967年。本が出版されて30年というと、この日本人のはなしは1990年代の終り頃の出来事ですね。あとがきが書かれたのは2002年です。
日本語訳が出版された1980年に彼がティーンエイジャーだったとすると、彼は今50代でしょうか。
思い出のマーニーがジブリで映画化されると知ったとき、彼は凄く喜んだでしょうね。
※やったッ!! さすがジブリッ! おれたちにできない事を平(以下略)
私もいつか、バーナムオーバリーに行って、アンナが見た風景を自分の目で見てみたいと思っています。