思い出のマーニー 感想と考察 8 (映画冒頭~ふとっちょブタ)

※以下、ジブリの新作アニメ「思い出のマーニー」のネタばれが含まれています!!※


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太っちょブタの信子に興味があるかたは、この記事とあわせてこちらを参照することをおススメします


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ではでは。本題に入る前に、改めて映画の内容を時系列に追って、感想を書いて見たいと思います。


映画は思い出しながら書かざるをえないので、ちょっと前後関係やセリフがあやふやかもしれませんがご容赦を。

冒頭


なにやら公園での写生大会からスタート。杏奈はベンチでスケッチをしています。先生から「ちょっと見せてみろ」と言われるのですが、その一言でいきなり具合を悪くする杏奈。


えええ〜、ちょっとデリケート過ぎ(笑)


この映画では杏奈のヒットポイントはまるでスペランカーのようですね。


そして例のキャッチコピー

この世には目に見えない魔法の輪がある。
輪には内側と外側があって、私は外側の人間。


この言葉、この映画ではここしか出てこないですね。
原作では作中何度か出てきて、最後はアンナが輪の内側に入って終わります。


喘息の発作で倒れた杏奈、家で医者に見てもらいますが、ここで養母に「またお金かかっちゃったね」との嫌味を言います。


これは例の養母へのヒントです。


養育費の存在に気づいている杏奈。


養母に「私は養育費について知っているのよ!お願い本当のことを言って!」と訴えているのですね。


この段階で、実は養母も「杏奈は養育費について知っている」ということに気づいています。


しかし、ここで「養育費に気づいていたのね!ごめんなさい杏奈!」と言ってしまうと、ここで映画が終わってしまいます。


でもそんなことをしたらジブリが潰れてしまいかねないので、とうぜん養母は知らんぷりを決め込みます。謝罪は映画の最後まで待っておこうと。養母はとても配慮あるかしこい人物のようですね。


お医者さんに「あの子いつもふつうの顔なんです」と訴えますが・・・うーん、ふつうの顔って杏奈の主観なので、ここでは客観的に「あの子いつも無表情なんです」と言ったほうが良い気がします。


友達が杏奈の忘れ物を届けてくれますが、どうやら杏奈は学校でも孤立している模様。


特急電車に乗って釧路へ向かう杏奈。原作では養母が別れのキスをするのですが、映画ではミカンを杏奈に手渡します。


ここで杏奈が養母について一言「まるでメェメェうるさいヤギみたい」


うおー、杏奈ちゃん。原作と比べてもずいぶんと反抗期なようですね。まるで尖ったナイフです。触るものみな傷つけちゃう女の子なんでしょうか・・・。


原作では、アンナは基本的に養母を愛している少女なのですが、映画のこのシーンから受ける印象としては養母を生理的に毛嫌いしているように見えます。


おそらく、映画の最初の杏奈と、最後の杏奈との違いをクッキリと浮き彫りにするために、あえて極端な性格にしたのかもしれませんが、これはちょっと賭けですね。


現にマーニーに対して否定的な意見を持つ人には、こういった杏奈の性格が受け付けられないという人も多く見られるようです。


まあしかし、原作は300ページ超もあり、ゆっくりと杏奈の人柄について描写出来るのに対し、映画は100分しかありません。


ここで「思い出のマーニー」のタイトル。そういえば、どうして「思い出」のマーニーなんですかね?これは後で考えましょう。

湿地に到着


湿地に到着する杏奈。大岩夫妻が暖かく迎えます。大岩夫妻、原作でも善人でしたが、輪をかけて朗らかな人たちのようです。


しかしここでまた微妙な発言「他人の家の匂いがする」


原作では「ふんわりあたたかくて、甘くて、どこか懐かしい匂い」でしたから、ここでもセリフが改変されているようです。


ここで観客は、すこし杏奈ちゃんの将来が心配になってきます。


道を歩きながら陽気に歌を口ずさむ杏奈。


でも道端で自転車にあうと、秘技「ふつうの顔」モード炸裂。


このシーン、杏奈の横顔しか見えませんが、絶対に「ふつうの顔」をしているのは間違いありません。


杏奈は早速湿地に出かけますが、ここで湿地屋敷を発見


衝撃を受けた顔をする杏奈。


私、ずっと昔から、このお屋敷を知っていた気がする・・・。


そうです。例の写真によって幼いころに刷り込みを受けていたんですね。


思わず湿地屋敷に行ってしまい中をのぞきますが、無人の様子。気が付くと満潮の為に帰れなくなります。


でも杏奈ちゃん、湿地側から帰らずとも、表側から道路を歩いて帰れば良いんじゃないですかね?


しかし、この時はまだそこまで頭が回らなかった模様。


とうぜんこのお屋敷にも道路に面する表側があるのですが、この時は「こっちが表側」だと思いこんでいたのです。


原作では、あとのシーンでマーニーにツッコミを食らったりしています。


角川版 P163

「表って?」アンナにはなんのことかわからなかった。「船着き場に面しているほうが表じゃないの?」
砂の上に花だんの絵をかいていたマーニーは、その手を止めてふりむき、びっくりしてアンナを見た。「あっちが表?そんなはずないでしょ、ばかね。(略)」
マーニーは声をあげて笑った。マーニが言ったとおりのことを考えていたアンナは、はずかしくなった。


うーん、マーニー、容赦ありません。


太っちょデブ登場


なんだかんだで、杏奈は七夕祭りに出かけます。近所に住む信子という女の子と一緒です。信子、杏奈に質問しておきながらその答えを聞く前に別な友達と会話を始めたりしてあまり感じが良くない女の子ですね。


それにしても、この信子って女の子、最初郵便局のシーンでも登場しましたがフケすぎてて風格がありすぎて全然中学生に見えません。


しかしこのシーンで「あぁ、女子中学生だったのね」とビックリしました。


短冊に願いことを書く杏奈


「毎日ふつうに過ごせますように」(でしたっけ?)


またまた出ました。キーワード「ふつう」


でもふつうって何ですかね?

杏奈は魔法の輪の外側にいて、ふつうじゃないってこと?
魔法の輪の内側にいる人達のように暮らしたい・・・そういう意味なのでしょうか?


ここで事件発生。信子が杏奈の短冊を奪って勝手に見てしまいます。


ここで観客にヒント。杏奈の目が青くて綺麗だと信子がいいます。


カンの良い人は、ここで杏奈とマーニーのつながりにピンと来るようですね。


でも、ジブリはどうしてこんなヒントを観客に与えたのでしょう?


このセリフで杏奈とマーニーの繋がりがバレるかもしれないというのは、ジブリ百も承知だったはずです。


この映画のキモ「マーニーは何者か?」という秘密にあるように思えます。一見は。


しかし、この映画の真のテーマは、実はマーニーの正体とは関係のない離れた別な所にあるのではないかと私は感じます。


なのでここでマーニーの秘密に気づかれたとしても別によかった・・・というジブリの判断なのかもしれません。いや、むしろここで気づいてもらいたかったのカモ?


一方、杏奈は激おこプンプン丸。


「ふとっちょデブ」と信子を罵ります。


でも、ちょっと杏奈ちゃん。いきなりその発言はちょっと的確すぎ酷すぎではないですか?


まぁドドリアさん」と言わなかっただけマシではありますが・・・。


信子はムッとして「ふ〜ん、ふつうの意味がわかったわ。けどね、アタナはアナタのままよ


と、ちょっと意味の分からない反撃。


これは後ほど考察しましょう。


けれど、流石に杏奈の1歳年上です。すぐに「はい、これでオシマイ」と仲直りを求めますが、杏奈は信子の手を振り払い、湿地に向かって爆走するのでした。


ここで原作を振り返りたいのですが、原作の信子は「サンドラ」という名前の女の子です。


原作のサンドラは映画よりもちょっと性格が悪くて、アンナと一緒にトランプをしても「イカサマ」をするような子です。


アンナのことを「ママ、わたしあんな不細工なでくのぼう見たこと無い」とか言っちゃいます。性格悪っ!


それでもお店でサンドラに出会った時、アンナはサンドラに愛想の良い顔をしようとするのですが、サンドラはいきなり戦闘モード。アンナを挑発します。


アンナもついにブチ切れ「太ったブタ」的確な指摘暴言を吐くのでした。


ドドリアさん」と言わなかったのは、きっとまだ当時のイギリスにはドラゴンボールが上陸していなかったのでしょう。


ここでサンドラが放った反撃の一言


角川版 P66

「あんたがどんなだか教えてあげる。あんたの見かけはね、あんたの見かけは−ただの、あんたそのものよ!へっ!


「へっ!」って(笑)


さて映画に戻りますが、浜辺についたアンナ。目から大粒の涙をこぼします。


「わたしは私のとおり。不機機嫌で、不愉快で、私は私が嫌い


マントラの如く「わたしは私のとおり、わたしは私のとおり、わたしは私のとおり」と繰り返す杏奈の痛々しい姿が印象的なシーンです。


自分が嫌いだという杏奈。はたして自分をどのような存在だと思い込んでいるのでしょう?


もし杏奈が、自分を「太ったブタのような存在だ」と思っていたと仮定しましょう。


すると、一見意味不明だった「あんたは、あんたに見える」という言葉が、「あんたは、太ったブタに見える」と置き換えられることに気づきます。


そして杏奈が自分をどう思っているのかで、この言葉は更に破壊力を増します。


もし自分を「ゴミのような存在」だと思っていたら

「あんたは、ゴミのように見える」


ウジ虫のような存在」だと思っていたら

「あんたは、ウジ虫に見える」


信子の言葉は鏡がレーザー砲を跳ね返すがごとく、杏奈の暗黒面を杏奈自身にぶつける最強の破壊兵器だったのです。


また、映画の信子は、原作のサンドラよりも大人な感じがするため、余計に杏奈の痛々しさが際立ちます。


信子の言葉は自分を移す鏡。もし杏奈が自分自身を「親から見捨てられ、血の繋がりのない養母に対して感謝も無く、友達からも嫌われて、孤独で、優しくしてくれる人にもすぐにキレるような協調性のない人間のクズ」だと思っていたら…。その破壊力は大変なものでしょう。


アンナは原作では自分をこのように思っています。


角川版 P66-67

みにくくて、まぬけで、短気で、ばかで、恩知らずで、礼儀知らず・・・だから、誰にも好かれない。


かなり自虐的です。


ちなみに原作では、「太ったブタ」とサンドラを罵るのは涙のシーンよりも後になります。


原作では、ペグのおばさんがマーニーのせいでサンドラの家まで遊びにいけなくなったと思い込んだ時に涙をながします。


角川版 P55-56

 きょうペグのおばさんがサンドラのうちに行かないのは、わたしのせいだ。そしてサンドラ、あの太ったブタ娘は、わたしのことを「不細工な、でくのぼう」なんて言った。ペグのおばさん−やさしいペグのおばさんは、そんなせりふは聞きたくないとはねつけて、わたしのことを「このうえなくいい子」だと言ってくれた。でもおばさんは、わたしのせいでスタッブズさんのところに行かないんだ。そんなのばかみたい。おばさんは、ばかで、まぬけだ。
(略)
 アンナは壁にかかった刺繍の額を見て、それにも腹をたてた。「よきものをつかめ」って言うけど、よきものなんてどこにもない。だいたい、これってどういう意味なんだろう。錨って、よきものなの?(略)」
 アンナは額を裏返しにして、窓辺に歩みよった。床にひざまずいて、夕焼けに赤くそまった畑を見はらすと、みじめな気持ちが熱い涙になってほおを伝った。「よきもの」なんてどこにもない−−−いちばんよくないのは、このわたしだ。


「よきものをつかめ」というのは、アンナの部屋にかかっている刺繍に錨の絵と一緒に書かれている言葉で、この小説では度々登場する言葉です。


映画には無いエピソードですが、マーニーとの別れの後、湿地屋敷でマーニーの古くなったボートを発見したアンナは今の所有者のリンジー家に断りなく、このボートの錆びた小さな錨を盗むシーンがあります。


壁に飾られた「よきものをつかめ」と書かれた刺繍を裏返しにして、窓辺から夕日を見て涙する杏奈。


原作ではあと何回か泣いているシーンが有りました。


ここまでの原作と映画の杏奈の描写の違いをまとめてみました。
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原作のアンナは内向的な少女という印象でしたが、映画の杏奈は中二病全開繊細で心に影を持つ危うい少女に描かれているようです。


つづく


思い出のマーニーとは編集