思い出のマーニー 感想と考察 4 (ふつうの顔)

※以下、ジブリの新作アニメ「思い出のマーニー」のネタばれが含まれています!!※


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前にもとりあげましたが、原作で登場する重要なキーワードに、アンナが時々見せる「ふつうの顔」があります。


アンナは何か動揺するようなことがあったり、空気に溶け込もうとするときは「ふつうの顔」をしようとします。でも上手にできないので他人には「無表情」に見えてしまうのですが・・・。


ちょっと目に付いた記述を抽出してみます。ページ番号は角川文庫版です。


角川版 P7

わたし、「ふつうの顔」をしているといいけど・・・どうか早く列車が出ますように。

角川版 P8

「ふつうの顔」をしていれば、うまい具合に誰にも話しかけられずに済むかもしれない。

角川版 P13

ブラウン先生は歩き回るのをやめ、アンナがベッドで「ふつうの顔」をしているのを、なにやら考えながら見つづけた。

角川版 P15

じゃあ、「ふつうの顔」はうまくいったわけだ。おかげでだれもアンナに気づいてもいない。

角川版 P27

突然子どもたちの声がして、アンナはびくっとした。(略)アンナは背中をまっすぐのばして、いつもどおり「ふつうの顔」をした。

角川版 P37-38

「ほんとうに、なにもしないのが一番好きなんです」アンナは力をこめて言った。(略)アンナは本気だとわかってほしくて、テーブルクロスを見つめ、できるかぎり「ふつうの顔」をしようとつとめた。

角川版 P42

もうたしかなものなんてどこにもない・・・・なにもかも、わけがかわらなくなる・・・・。アンナはまばたきしてから、さっきより大きく目を開けてもう一度見た。やっぱりない。アンナはすわりこんでしまった。それから、このうえなく「ふつうの顔」をして、わたしはひとりでやっていけるし、こわくもなんともないと自分に言いきかせながら、あごの下にひざを引きよせて両腕を巻きつけ、小包みたいにぎゅっと小さくなった。

角川版 P49-50

きっとその人たちも、ほかの人たちと同じく、うわべだけ愛想よくしてくれて終わるだろう。「外」にいるアンナのことを「中」から面白そうにながめ、自分たちと同じものが好きで、同じものを持っていて、同じことをするものだと決めてかかる。(略)そうなると、アンナのほうからその人たちを嫌うしかなくなる。(略)ずっと「ふつうの顔」をしたまま。


アンナ、ずいぶん沢山と「ふつうの顔」をしています。まるで忍者が土トンの術でも使うかの様に・・・。


あっピンチ!?いまだっ!『忍法、ふつうの顔っ!!』といった感じでしょうか? ニンニン


ところで「ふつうの顔」ってどういう顔なんでしょう?


他人からは「無表情」に見えるようです。新潮版では「つまらなそうな顔」と訳されていますが、私は「感情を他人に悟られることのない、ごく穏やかで自然な表情」だと解釈しました。それって「無表情」ということじゃないの?と思われそうですが、感情を出さないわけではなく、輪の外側にいる人がごく当たり前に見せている、自然な感情を表に出している顔なのです。


・・・上手にはできないのですが。


さて。この直後にマーニーとの出会いがあり、アンナは「ふつうの顔」をしなくなります。しかし例外的に、マーニーの前で一度だけ「ふつうの顔」をしました。


角川版 P172

アンナはそれを聞いて、なにも言えなかった。深く傷ついたし、腹立たしかった。マーニーと出会ってはじめて、アンナは「ふつうの顔」をした。


しかしこの後、マーニーとの別れまで、アンナは「ふつうの顔」をしません。


つぎに「ふつうの顔」をしようとしたのは、リンジー兄妹との出会いのときです。


アンナはリンジー兄妹に興味シンシンで遠くからリンジー兄妹を観察するのですが、逆にリンジー兄妹につかまってしまいます。


角川版 P225

アンナはちょっとじたばたしてから、動くのを止めた。(略)そのあいだじゅう、「ふつうの顔」をしていようとした。でもうまくいかなかった。(略)思わずにっこりしてしまう。


ここで注目するべきなのは、アンナが「ふつうの顔」をしようとして失敗してしまうことです。


それどころか逆に笑顔をみせてしまう。


この後、100ページほどリンジー家とアンナの交流が描かれますが、これ以降でアンナが「ふつうの顔」を作ろうとすることはなくなりました。

ことあるごとに「ふつうの顔」を見せるアンナ

「許して!」「許す!」

おもわずニッコリしてしまう


マーニーとの別れの前後で、明らかにアンナの性格が変わっているのがわかります。


もうそんなことはしなくても、アンナはふつうにふるまえるようになったからです。


どうしてアンナは『ふつうの顔』をしなくとも済むようになったのでしょうか?


それはまたあとで考察していきます。


つづく